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英語民間試験見送りについて想う [政治評論]

 大学入試のための英語民間試験が文科省判断で見送りになった。公平・公正が保たれなくなるというのがその理由のようだ。例によってメディアが正義の味方「黄金バット(ちょっと古いな)」宜しく金切り声をあげているが、そもそも英語に限らず大学入試に共通試験が必要かどうか、から論ずべきである。

 受験生にとって一番重要なのは大学選択の自由があるかどうかである。各県ごとにそれなりのレベルを持った総合大学が必ず一つ、一定の専門レベルを持った文系、理系、医系の専門大学がひとつづあるとすれば少なくとも受験生の選択の自由は確保できる。入学試験は当然各大学の自由に任せるべきである。入学試験の業務が負担だなどと寝言を言うべきではない。入学試験の難易も選択の自由の範疇である。それでも東大や大都市の有名大学に行きたい受験生は経済的に苦しくとも苦学覚悟で自由に自分の行きたい大学を選べばいい。政治に必要なことは各県に自由に選択できる一定レベル以上の大学環境を作ることである。戦後大学教育の自由化で一県ごとに少なくとも一つは国立大学ができたはずである。軽薄なメディアは「駅弁大学」と嘲笑したものだ。其れでも努力して有名になった地方大学はいくつかある。地方活性化にも繋がる。近い将来ノーベル賞を取る地方大学教授も必ず出る。文科省は目的のピントを外すな!。

 

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