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朝日新聞の社説の低調さを憂う [マスメディア批判]

 毎度のことであるが、我が国は思想、信条、言論の自由な国である。朝日新聞が何を(社説)で書こうが自由であるが、批判も自由である。11月18日の社説、政治家の言論 その荒廃ぶりを憂える。 では一方的な記述が目立ち、これがかつては我が国新聞界の長といわれた新聞の社説かと疑わせるものであった。

「社説」曰く

 政治は言葉だ、といわれる。みずからの理念を人の心にどう響かせるか。それが問われる政治の営みが、すさんでいる。

 「批判」

 政治は議論と実行だ。主権者全部が一堂に会するわけには行かないので代議士を選んで国会で議論してもらう。代議士を選ぶのが選挙だ。実行は主権者から委託された代議士が行政の長(総理大臣)を選び、選ばれた者は内閣を組織し行政(実行)に当たる。行政上新たな法律が必要となれば主権者である国民が委託した代議士のいる国会(立法府)に諮り、国会で法律を制定し行政府である内閣が実行する。政府提出の法案に問題があれば国会で与野党協議の上修正する。協議がつかなければ多数決で決める。これが現在行われている我が国の民主主義であり政治の営みである。小学生でも知っている。今回の選挙で野党が大敗したのは野党議員がみずからの理念を主権者の心に響かせられなかった証拠である。代議士は選挙のたびに主権者の選択を受け落選すればただの人になる。ところがマスメディアは主権者による選択を受けることはない。自主的な反省を待つより方法はない。しかしその報いは必ずある。。野党の1議員の発言で政治全体がすさむことなどあり得ない。選挙前の内閣の施政は今回の選挙で主権者の大部分の信任を得ているのである。主権者である国民を小馬鹿にしない方がいい。民主主義の破壊につながる。

 国会での議論は公平かつ的確に主権者に伝えられなくてはならない。そこに恣意的な報道がなされては次回の選挙で主権者の判断を惑わすことになりかねない。雰囲気は紙面では伝わらない。雰囲気まで伝わるのは中継放送である。国会開催中は審議状況を常時放送できるよう国会事務局に衛星放送の電波を割り当てればいい。具体案を他のブログで提案することとする。

「社説に曰く」

 加計学園の獣医学部問題を審議した衆院文部科学委員会で、聞くに堪えぬ発言があった。
 他の政党の議員3人を名指しし、日本維新の会の足立康史氏が「犯罪者だと思っています」と述べた。相応の論拠を示さないままの中傷である。
 各党から抗議されると「陳謝し撤回したい」とすぐに応じた。その軽薄さに驚く。言論の府を何だと思っているのか。
 憲法は議員の国会内での言動に免責特権を認めている。多様な考えをもつ議員の自由な言論を保障するためだ。低劣な罵(ののし)りを許容するためではない。
 これまでも、他党に対し「アホ」「ふざけるなよ、お前ら」などと繰り返し、懲罰動議を受けてきた人物である。

 一向に改めないのは、黙認する雰囲気が国会内にあるからではないか。

 同じ委員会で、朝日新聞への批判もした。「総理のご意向」などと記された文部科学省の文書を報じた記事について「捏造(ねつぞう)だ」と決めつけた。

 「批判」

 あれだけ熱心に野党を応援した朝日新聞の記事にもかかわらず、野党が大敗した原因の一部は朝日新聞の恣意的な記事にあるのではないか。主権者が恣意的な記事に反発した結果ではないか。国会内の雰囲気を批判する前に自己反省が先でしょう。

 国会内のことは国会内できめればいい。足立代議士の発言が懲罰に値すると考えるならば与野党協議のうえ懲罰委員会にかければいい。

「社説に曰く」

 自身のツイッターでは、「朝日新聞、死ね」と書いている。

 加計問題の報道は確かな取材に基づくものだ。記事や社説などへの意見や批判は、もちろん真摯(しんし)に受け止める。
 だが、「死ね」という言葉には、感情的な敵意のほかにくみ取るものはない。
 昨年、「保育園落ちた日本死ね!!!」の言葉が注目されたが、それは政策に不満を抱える市民の表現だ。国会議員の活動での言動は同列にできない。
 政治家による暴言・失言のたぐいは、以前からあった。最近は、政権中枢や政党幹部らからの、とげとげしい言葉が増えている。
 政権与党が、論を交わす主舞台である国会を軽んじる風潮も一因だろう。昨年は首相周辺が野党の国会対応を「田舎のプロレス」「ある意味、茶番だ」と切り捨てた。

 国会に限らず、政治の言葉が、異論をとなえる者を打ち負かすだけの道具にされている。
 安倍首相は7月の東京都議選で、演説にヤジを飛ばした人々に「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と叫んだ。
 「犯罪者」「死ね」「こんな人たち」。国策に重責を担う政治家が論争の相手を突き放し、対立と分断をあおる。

 「批判の総括」

 法案の提出前から野党の「あらゆる手段を講じても法案を廃案に追い込む」これは完全な国会審議を無視した

暴論ではないか。これが乱闘国会の原因で有りこの審判は先に行われた選挙で示されている。「朝日」はここでも与党大勝を民意でないと言い張るのか。言い張るのは勝手だが朝日は中国、北朝鮮流の社会主義独裁政権願望メディアであることを宣言してから、自由に書いてほしい。公正だと言いたいのなら書く前に新聞倫理綱領などをしっかり読んでから書いてほしい。

「こんな人たち」はどこに問題があるのか。朝日の記者は居眠りしていたのか。誰に頼まれ動員されたのか知らないがヤジのものすごさ、周囲から「黙れ」と制止されてもやめない、金で買われたヤジ集団ではないのか。まさに「こんな人たち」である。

「朝日には良心の呵責というものはないのか」「加計問題の報道は確かな取材に基づくものだ」。ならば前愛媛県知事の国会証言をなぜカットした、会期外で行われた参議院の委員会で桜井民進党代議士が答弁に立とうとした大臣に発した「お前に聞いているんじゃだない!出て行け!」の暴言は何故報道しない。放送を見ていたものは懲罰ものだなと思ったものを翌日の報道はなんの音沙汰もなし、委員会の理事会になんらかの圧力がありそれに従ったのではないか。「民はよらしむべし、知らしめるべからず」封建社会の格言が報道の中にも脈々と生きているのか、ならば情報公開の自由など口にするなと言いたい。

 前にも書いたがやっぱり朝日新聞は3流に落ち込んでいる。1流に引き上げるためのガバナンスもない。


  


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