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ユネスコ「世界の記憶」包括的見直しについて-続報ー [国際問題とマスメディア]

 2018.9.13付産経新聞の報じるところによると、ユネスコは来年10月改革に向けて作業部会を設置するとのことだ。昨年就任したアズレ事務局長は就任時の公約に基づき今春の執行委員会で年内の改革を目指す案を示したが、「加盟国参加の仕組みが不十分」などの意見が相次ぎ、再提出を迫られていたようだ。旧来の陋習にしがみつく一部の参加国とユネスコとはそんなに甘い汁の吸えるところかとびっくりした。また日本のメディアの無関心さに驚くとともに外務省の対応はどうなっていたのか気になるところである。多分外務省のホームページで報告してあるよと言われるであろうから隅から隅まで探すがしてみよう。このままでは南京大虐殺(既に登録されいる)、慰安婦問題に絡む性奴隷問題もすべて事実であるとされ我々は次世代に顔向けできなくなる。

 これまで投稿してきたものを再掲する。


「再掲」


産経新聞の報ずる(30.1.3)ところによるとユネスコが「世界の記憶」の包括的見直しに向けて「行動計画」を策定、今年4月ユネスコ執行委員会に提出される予定だそうだ。「世界の記憶」が正常化に向けて動き出すことになる。さすが昨年11月任命されたばかりのアズレ新事務局長(フランス)、やることが早い。わが国で言えば一昨年中国が提案し、前事務局長によって承認された「南京大虐殺文書」がある。
 我が国にとっては新春早々の朗報である。河野外務大臣を筆頭とする外務省の労を多とする。今後は同様な立場で既に脱退や負担金凍結などを表明しているイスラエル、アメリカなどに踏みとどまるよう説得し新事務局長に協力すべきである。
 なお参考のため、これまで投稿した関連ブログを再掲する。如何に朝日新聞が中国の代弁をしているかが、うかがえる。

朝日新聞(社説)南京事件80年 冷徹な直視の姿勢こそ (2017年12月17日05時00分)を読んでこの新聞にしてモリカケ問題フェイクニュース有り、としみじみ感じた。思想信条の自由な国だ。朝日が何を書こうと自由だか一方的な見解が慰安婦問題のように独り歩きされ、子々孫々民族の尊厳が穢がされ、肩身を狭くするようなことになっては昭和、平成を生きたものとして誠に申し訳ない。徹底的に反論しよう。

社説に曰く

 南京事件は、日中戦争の初期におきた。1937年12月13日に南京を陥落させた日本軍が、捕虜や一般市民を数多く殺害した。

反論

 断定的に書き、事実と思い込ませるのが、朝日の常套手段である。朝日には断定できる証拠があるのか。出してみろ。多分昨年登録されたユネスコの「世界の記録」を持ち出すのであろうが、密室、反論の機会無し、一時保留になっていたものを前事務局長が置き土産に最後に承認したものである。先月就任した新事務局長に対し政府を挙げて見直すべく不公平な扱いを受けた他の国々ともども働きかけている最中である。アメリカ、イスラエルはすでに来期のユネスコに対する負担金の不払いを公表している。小生も嘗てブログに強硬路線を投稿したが今は負担金では新局長に協力し、アメリカ、イスラエル共々不公平な取り扱いを受けた案件の見直しを図った方がいいと思っている。見直しがなければ嘘が真実となって定着してしまうのである。

社説曰く                             

 それから80年。この事件は今も日中間の火だねとなる歴史認識問題の一つとなっている。13日の南京での追悼式典には習近平(シーチンピン)国家主席が3年ぶりに出席したが、演説はしなかった。節目の年に歴史を重視する姿勢を見せつつ、日本への刺激は避ける配慮を示したようだ。

反論

 演説しなかったのは、日本への配慮だそうだ。とんでもない、ユネスコの新事務局長による見直しにより、金による違法なロビー活動がばれた時の責任逃れに過ぎない。

社説に曰く

 日中関係はいま、確かに改善傾向にある。冷静に歴史問題を見つめることができるようになったと考えたい。

反論

 考えるのは朝日の勝手だが、本当に日本との友好関係を持ちたいなら尖閣諸島周辺への公船配備を即刻辞めるべきだ。経済関係はお互いに持ちつ持たれつの関係にあるから政治が関与しなけければ、友好関係にあるのは当然である。

社説に曰く

 事件については、犠牲者の人数が主な争点にされ、議論がこじれがちだった。中国では、戦後の南京での軍事裁判の判決を根拠に「30万人」が公式見解となり、政治の指導者もたびたび言及してきた。 だが、その裏付けは不十分と考える歴史研究者は中国でも少なくない。ただ、公開の場やメディアで発信できないため、多様な見方が日本に伝わらない。一方、日本では数万から20万人まで見方が分かれるが、事件自体を否定する歴史研究者はまずいない。

 反論

 朝日の狡猾さ極まれりと言いたい。ユネスコでの見直しにより30万が論破された時の言い訳である。戦後南京での軍事裁判を行ったのは蒋介石政権である。現共産党政権はその数を踏襲しただけだと言いたいのだろう。勿論中国にも良心的な人は沢山いるであろう。しかしその数字をそのまま用い全世界にその残虐性を70年も延々と伝えてきたのは他ならぬ現共産政権である。また良心的な見解を伝えさせなかったのも共産政権である。我が国には事件自体を否定している研究者も数多くいる。朝日は何を言いたいのか。はっきりせい。

 社説曰く

 当時、軍紀の乱れが深刻な問題になったことが記録や証言に残っており、事件は否定しようがない。出版物やネット上では、事件がなかったかのように扱う論調が以前からあり、近年強まっている感がある。この風潮が日本の主流の考えであるかのように中国で扱われることもある。加害者・被害者の立場の違いに加え、言論や学問の自由をめぐる違い、そして時に政治的な思惑も絡み、互いに理解を妨げている現実がある。静かな環境で研究と交流が日中間で進むよう望みたい。

 反論

 まさに朝日に対し怒り心頭である。軍紀の乱れが深刻な問題になっていたのなら記録や証言をはっきり示してもらいたい。敗戦後一方的に自白なるものを強要され早く釈放されたいためにオーバーな証言をしたという話はよく聞かされた。今で云えば自白の強要で事件の証拠にもならぬ話である。一方支那軍は南京退却に際し国際的に認められていない平服を着た便衣隊戦術(今で云う一般市民を盾にした戦術)を取り日本軍にそれなりの損害を与え、その反撃で一般市民にも被害が出たことも知られている。これは意図的な虐殺とは全く関係のない自衛行為である。朝日の記者よ。当時の自分のところの新聞をよく読んでみろ。便衣隊の記述もあるはずだ。

社説に曰く 

 そもそも、人数は史実の重要部分ではあっても、歴史から教訓を学ぶうえでは必ずしも問題の本質とはいえない。
 何万人が死んだ、ということではなく、一人一人が死に、それが何万にも上ったのだ――。南京事件のただ中に置かれた中国の知識人の日記の形をとった堀田善衛の小説「時間」は、主人公にこう語らせている。
 80年も経てば証言者は減り、記憶は風化する。日本にとって恥ずかしい過去を表に出すのを拒もうとする力は、今後さらに強まるかもしれない。
 しかし、過去を直視できないとすれば、それが真に恥ずべきことだ。不戦を誓う平和国家としての戦後の歩みを誇りとしつつ、不幸な過去に厳然と向き合う姿勢を忘れてはなるまい。

批判の総括

 南京事件が真実であれば民族として直視し今後永遠に起こさないよう立ち向かわなければならないのは当然である。ただし、勝てば官軍、負ければ賊軍式の冤罪は民族の尊厳にかけて断じて認めることはできない。南京事件を最大限国際問題や内政問題に利用してきたのは中国ではないか、また中国に追随し自国民に反省を強要してきた恥ずべき我がマスメディアではないか。記憶を風化させないためにもユネスコで通州事件も含めて公正な再審査を提案すべきではないか。

  朝日新聞の社説批判 29.11.08 
 これまで非公開で意見表明の場もなかったユネスコの独善的な運営を擁護し、アメリカの脱退宣言を非難している朝日の衣の袖の下に見えるものは、なにか。社説を逐一反論しながら考えてみた。見えてきたものは、ユネスコの新事務局長の「加盟国の信頼を取り戻したい」としている運営改革に対する実に巧妙な牽制である。我が国が係わる具体的なものとしては「南京大虐殺の記録」の承認時に関する不透明さ(不正)の隠蔽と思われる。
(社説)ユネスコ 米国の脱退は無責任だ、2017年11月8日05時00分
 社説 曰く
 東アジア歴訪中のトランプ米大統領にわずかでも学んでほしい。多様な国々が共に繁栄する工夫がどれほど大切かを。
 世界遺産などで知られるユネスコ(国連教育科学文化機関)も、平和と安定をめざすための大切な活動を担っている。
「批判」
 正常な議論が行われれば全くその通りである。ところが審査は非公開、意見表明の場もない、今時まことに珍しい非民主的な機関である。朝日新聞はこれで正常な議論が行われると思っているのか。ゲスの勘繰りをさせてもらえば、問題によってはロビー活動により不正な金が動くこともありうると考えるのは当然である。不当な審査をされた国は脱退したくなるのはこれまた当然である。
「社説曰く」
 再び世界大戦を招かないために、教育、科学、文化の国際協力を進める目的で運営されている国連の専門機関である。
 ところがトランプ政権は、来年末に脱退する方針を先月表明した。またもや自国第一主義にもとづく一方的な決定だ。
 「批判」
 今のユネスコは国際協調どころか反目を激化するような一方的な決定が多い。これでは再び世界大戦を招きかねない。負担金は国税である。一国の指導者として、泥棒に追い銭をするような指導者がどこにいる。
 「社説曰く」 
 気候変動をめぐるパリ協定や、日米を含む環太平洋の自由貿易協定などに続く離脱である。多国間の協調枠組みに背を向ける姿勢は、米国にも国際社会にも役立たない。ユネスコ脱退の表明は撤回すべきだ。
 ユネスコに不満を抱くのは米国だけではない。昨年、中国が申請した「南京大虐殺の記録」が記憶遺産になった際、日本政府も分担金を一時凍結した。
 審査が非公開で意見表明の場もないなどの批判はあるが、だからといって資金を止めたり、離脱を表明したりするのは、国連活動をリードすべき国として適切な振るまいではない。
 「批判」
 一方的なパリ協定、TPPの離脱はアメリカの国際信用を落とすだけだ。この点は反論はない。アメリカは不満の点を明確にして早期に復帰すべきだ。
 一方 ユネスコの問題は新事務局長に就くフランスのアズレ前文化・通信相が「加盟国の信頼を取り戻したい」と語っている通り明らかにこれまでのやり方に対する国際社会の不信感が大きいことの証明である。先ずはユネスコの自己改革である。それなくして協力など論外である。
 「南京大虐殺の記録」など物理的に考えてもあり得ないことを中国のロビイ活動により承認させたと思わせるふしがあるので、日本も分担金を再度独自に凍結すべきである。解除は新事務局長の改革の実施情況を見て独自に考えればよい。
「社説曰く」
 「世界の記憶」(旧・記憶遺産)をめぐっては、来年以降、異議を唱える国などがあれば、当事者間の話しあいを促すことになった。今年の審査で「旧日本軍の慰安婦に関する資料」が登録保留となったのは、新制度を先取りした判断だった。
「反論」
 当たり前のことがこれまで長年にわたって見過ごされてきたことに大きな怒りを覚える。ロビイ活動による汚い金ののやり取りの有無については、刑事問題として徹底的に調査すべきことである。国際社会への訴えを執拗にすべきである。子々孫々に汚名を残すか否かの大問題である。
 「旧日本軍の慰安婦に関する資料」が登録保留になったことで、「朝日」の慰安婦問題の大罪が消えることはない。再度社長の今後の取り組みを是非聞きたい。いや国民への説明は再度絶対すべきである。
 「社説に曰く」
 国際機関で様々な国や団体の主張や利害の摩擦がおきるのは当然だ。問題があるなら内部で改善を働きかけ、国際機関としての価値を高める。それこそが世界の紛争の根源を絶つための責任ある態度だろう。
 米国は1984年にも、政治的な偏向などを理由にユネスコを脱退した。このときは、99年に事務局長に就いて組織改革を進めた松浦晃一郎氏の尽力もあり、03年に復帰している。
 15日にユネスコの新事務局長に就くフランスのアズレ前文化・通信相は「加盟国の信頼を取り戻したい」と抱負を語る。日本政府には、新事務局長とも協力して、米国の説得に力を尽くしてもらいたい。
「反論の統括」
 「審査が非公開で有ったこと」、「意見表明の場がなかった」 などこれまでのユネスコの審査は全く闇の中の審査であった。不正な金の動く余地は十分あった。したがってユネスコがこれまで決定した事項については全事項、新事務局長の下で見直すべきである。これを全世界に訴え、改革の第一弾として決定すべきである。それが決まるまでは不当な審査を受けた各国は分担金は保留すべきであり、日本政府による米国の説得など全くあり得ない。「朝日」はどこかの国から依頼を受けたのか。
 今回の社説は、新事務局長のもとに行われんとしているユネスコの改革を無難に済ませたいと望んでいる某国の願望の巧妙な代弁だと思われる。「南京大虐殺」の登録の真相などが明らかになることを切望する

 


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