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言葉の魔女狩りを憂う [マスメディア]

 今村元復興大臣の辞任に関連し、日本語の難しさをつくづく感じた。今村氏の言わんとしたことは派閥の会合での発言で有ることを考えれば「東北でもこれだけの大きな被害が出て復興にこれだけの費用が掛かっている。巷間云われている首都圏の直下型地震では東北の比ではない。自民党同志諸君よ、心して準備をしましょう。」といったところだと思う。これを言葉足らずの「東北でよかった」の一言だけをマスメディアの記者にとらえられ即時に東北に伝えられたのである。これでは辞任も已む無し、である。政権にある要人は記者の前ではくれぐれも慎重に言葉を選んで発言すべきである。

 若い人は多分知らないと思うが、昭和の20年代、30年代には新内閣が発足するたびに新人大臣が”ぶんや”(戦前からあった無礼な記者の蔑称)のひっかけ質問に引っかかり何人かが一日か二日の大臣で無念の涙をのんだものである。ひどいのは韓国、中国に告げ口し外交問題にし、辞任に追い込んだこともある。

 記者諸氏の資質が上がりこんなことはなくなったと思っていたら、言論の自由、取材の自由の名のもとに形を変えた「言葉の魔女狩り」が始まっているのだなとつくづく感じた。言論の自由な世の中である。記者諸氏の良識に待つ以外にない。

 野党は野党で重要な時期にある国会の委員会を休会にする始末である。主権者である我々は事の本質を踏まえ来たるべき総選挙には権利を的確に行使しなければならない。


[追記]

 自民党の二階幹事長がマスメディアを批判をした。今村氏が自分の派閥の一員であったことから一言言っておこうということだろうがごく当たり前の批判であった。ところがTBSの報道がこれにかみついた。ほかの報道番組はまだ見ていないので見次第批判しなければいけないと感じたものは遠慮なく批判していくつもりである。TBSの番組は報道について一切の批判を許さないという傲慢な態度が感じられた。一体報道の連中は自分を何様だと思っているのか。それとも胸に手を当てて忸怩たるものがあるから強気にでているのか。他の批判に聞く耳持たないのであれば今後TBSの報道はすべて偏向していることにしよう。報道の自由を守るのは自分自身の良識であり、彼らには唯我独尊以外、良識というものがないのであろう。

「追記2」

 「東北でよかった」が独り歩きしている。魔女狩りに引っかかったのであり今村氏は無念やるかたないであろうが今の段階では耐えるより仕方がない。幹事長も言えば言うほど自民党や安倍内閣攻撃の餌食になるだけだ。権力の座にあるものは不条理だと思っても耐えるより仕方がないこともある。相手は災害時などで流さなくてもよい風評を流し風評被害が出るといかにも心配しているかのように振る舞う面の皮の厚い連中である。その代わり一旦解散になったら有権者に思いのたけをぶちまけ容赦のなくメディア批判とメディアを悪用している相手民進党を思いっきり攻撃すればよい。有権者は必ずわかってくれる。発言の自由はメディアだけの特権ではない。


「追記-2」前々から気になっていたことであるが、フランスの大統領選挙の報道でどのメディアも平然と使っているのが極右なる言葉である。ルペン候補を指した言葉であるが明らかに差別用語ではないか。保守派の急進的な考え方であるなら急進右派で十分ではないか。急進左派について極左と言わないのならば極右も使ってほしくない。いや使うべきではない。極右の持つイメージは暴力的なイメージがあり、それを意識して故意に使っているのであろう。差別用語には敏感なマスメディアが政治の社会では何の抵抗もなく使うとはマスメディアもいい加減なものだ。


「追記」17.6.13 「めくら判」という言葉を使った安倍首相が委員会で取り消したという記事を見た。確かに不適切な言葉ではあるが前後の言葉を聞けば目の不自由な人のことを言ったことではないことぐらいすぐわかる。まさしく言葉の魔女狩りである。一方朝日系の雑誌「AERA」-17年6月発売12号-ネットMSNよりー では前川前事務次官問題関連で読売新聞を誹謗し「政権べったり、権力の走狗」なる文言を大々的に使っているのである。読売新聞は走狗か。読売社員は犬か、報道の自由は朝日だけのものではない。前川前事務次官の女遊びを読売にスクープされた悔しさかもしれぬがこんな差別用語を平気で使うとはやっぱり朝日は3流だ。


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